実はわたくし、大学を卒業してから10年間、一度も就職をせずプロのニートをしておりました。
原因言い訳は病気の母の介護
介護で夜中の12時まで世話をして、6時には起床…
母の亡くなる前の5ヶ月ぐらいの短い時間だったが、弱っていく母親をみていたのもありそうとう肉体的にこたえていた…
ああ、社会人になったらずっとこんな毎日なのかな…?
母が亡くなってからは、家の中ではネットゲームばかり…
現実逃避という快楽に負け…ニート㈱自宅警備部部長に就任したのでした…

それから10年、流石に焦りが、ぼくを現実に引き戻してくれたので就職。
就職してからスピリチュアリストNORIさんのYouTubeで聞いたこと。
(ちょっとどの回かわすれちゃったけど…)
おかしいのはニートじゃなくて、逃げ出したくなるほどおかしくなってしまった社会。
その話を聞いて、すっと胸のシコリがとれた。
実際、今になってあのときニートしてなかったら、今のこんなに幸せな自分はいないよなって思える。
ニートになってよかったこと。
挑戦できるようになったこと。
成人してからでも夢を目指せるようになったこと。
大学生、20歳のころのぼくは、イラストレーターになりたいと思った。
(あっち系のゲームの2次元のかわいい女の子にほれてしまったのだ…)
たぶん、普通に就職して、大衆心理(大多数の価値観)にのまれていたら、
「大きくなって技術をつけることなんて無理だよ…」
とあきらめてしまっていた。
でも、一般的な社会から離れて、YouTubeや本、たくさんの価値観に触れれば、大人になってからも挑戦して成功している人はたくさんいる。
自分が子供のころ、親や教育などの環境から教えられたものより、世界はずっと広いものだった。
同じ思いの仲間ができたこと。
ごみ拾いアプリ「ピリカ」の人々や、ツイッターのごみ拾い仲間とは、きっとあのニート経験がなければ出会えていない。

ニートをして自分に身についたスキルは、“社会を別の角度から見ることができる”こと。
きっと普通に就職をしていたら、お金のためにだけ働いていた。
でも本当に大事なものは、(もちろんお金も大事だけど)お金で交換するモノだ。
自然豊かな串本町なら、食べモノは、自給自足しようと思えばすることができる。
しかし、海洋プラスチックなどの問題で、特に魚介類はおびやかされている。
ニートをして視点が変わらなければ、日々ごみを拾うこと、自分たちの食料を守る活動に、自分は意味を感じなかっただろう。
だから、“毎日ごみ拾いをしてくれる仲間がいる”こと、“毎日のごみ拾いを仲間に報告できる”こと、それは本当にありがたいことだと思う。
継美隊にはいったこと。
※継美隊…埼玉県の八坂工芸さんが考えたごみ拾いプロジェクト
ごみ拾いをつづけて1年、突然のダイレクトメール。
八坂工芸さんから、継美隊Tシャツを使ってほしいとのこと。
ツイッターに継続してごみ拾いを投稿していたことをみていてくれたのだ。
八坂工芸の代表さんとも直接DMで話をした。
代表「継美隊は10年前から計画していたプロジェクト。日本全国にこの取組をひろげたい!」
す、すげぇ…あつい…
ごみを片手で簡単に捨てて、地球を壊す人がいる。
一方で、片手でごみを拾い、地球を救う人がいる。
そんな簡単にできるけれども、なかなか理解されないごみ拾い。
それを継美隊というカタチで、盛り上げようとしてくれているのだ。
きっとニートをしていない自分には、仕事の本質は社会貢献であること、そんな事に気がついていなかっただろう。
ニートをして弱い立場になった。
そして、「自分は弱い人間だ」ということがわかった。
普通に就職していたら、強い人間だと勘違いしている弱い人間だっただろう。
そんな弱い自分も認めてくれる考え方に出会えたことが刺激的で、いまはいろんな価値観を認めることができる。
ニートをして身につけた視野の広さ。
ニートをしてよかった!

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