【7月17日】串本のめっっっっっっっっっっちゃうまい!さつまいも・サイパン

串本グルメ


 

おそらく…いや、絶対に、

世界で一番うまいさつまいもは、串本のサイパンだ!

我が家で植えたサイパン。

収穫まであと2、3ヶ月。

まだまだ収穫には時間がかかるが、いまから待ちきれない( -‘﹃ ‘- )

だって去年大阪で仕事をしていたときに友達が送ってくれた、

しっとり、ねっとり、濃蜜、あまぁ~い

あの味がわすれられないんだもんっ。

今日は”和歌山県串本町のすごーく美味しいさつまいも”・サイパンのお勉強。

 

さつまいもの歴史

日本に伝わったさつまいも

さつまいもは中央アメリカ原産のヒルガオ科の植物。

 

日本にやってきたのは1600年、さつまいもは中国からやってきた。

その後、1698年、琉球(りゅうきゅう、今の沖縄)から薩摩(さつま、今の鹿児島)につたわったことからさつまいもと呼ばれるようになった。きょう

 

さつまいもが注目されたのは、18世紀~19世紀に起こった、日本の三大飢饉のころ。

三大飢饉…享保の飢饉、天明の飢饉、天保の飢饉
享保の飢饉…1732年、イナゴの大発生による米の大凶作。
天明の飢饉…1782年、浅間山の噴火による火山灰が空を覆ったことによる例外。
天保の飢饉…1833年、洪水・冷害による米の不作。1837年、米の値上げによって、貧しい農民たちが起こしたのが、大塩平八郎の乱。

飢饉の作物が不作の年を乗り越えるため、救荒(きゅうこう)作物としてさつまいもを広げたのが、甘藷(かんしょ、さつまいものこと)先生こと青木昆陽。

青木昆陽により、さつまいもは全国に広がっていった。

・荒れ地でもよく育つ
・害虫に強い
・貯蔵が効く
ことからさつまいもは、第二次世界大戦のころにも、人々の生命をつなぎ、大活躍した。

(ぼくの現在94歳の祖母も、戦争のころは、さつまいもばっかりで…と耳にタコができるくらい語っていた…😓)

 

串本に伝わったサイパン

串本にサイパンを伝えた人物が植松弥助。

1866年、弥助が日向(ひゅうが、今の宮崎)に旅行した帰り、阿波国(あわくに、今の徳島)から持ち帰ったのがはじまり。

串本の土質に適していたことや、貯蔵性が高かったことから、サイパンは弥助芋とよばれ串本で広まった。

後の第2次世界大戦次、さつまいもの中でも貯蔵性の高いサイパンは串本でも大活躍。

日本最大の危機をすくった植松弥助は、串本の民なら絶対に知っておきたい人物だ。

(ぼくは最近知ったけどねー(*´3`*))

 

サイパンのお味

繰り返しになるが、サイパンは

しっとり、ねっとり、濃蜜であまぁ~い!

さつまいもの有名品種といえば、安納芋だが、串本民なら、

「絶対にサイパンのほうがうまい!」

という。(地元ひいきw)

 

さつまいもが一番美味しくなるのは、寒さがつよくなりはじめる12月ごろ。

凍るまいと、さつまいもがデンプンを糖にかえて、寒さから身を守るのだ。

 

さつまいもが美味しくなる焼き方は、低温(60℃付近が理想的)でゆっくーり火を通すこと。

わが家では、
①クッキングペーパーをぬらして、サイパンをつつむ。
②さらにアルミホイルでつつむ。
③フライパンにフタをして、30分以上焼く

この方法で、焼き芋を作っている。

 

現在、サイパンはJAから「なんたん蜜姫」という名前で販売されている。

よーく焼くことで、まるで蜜があふれ出したように見えることから、蜜姫と名付けられた。

(余談、この蜜姫と命名したのは、ぼくの実家の近所に住むおばあさん。

いつの間にか、JAが商標登録していたという…)

 

 

現在、ぼくが草まみれの中に植えたサイパンは順調に育っている模様。

絶対に串本で最高においしいサイパンをつくってやる!

と思って、

草の中に野菜を植える自然農法を採用し、

サイパンの発育の邪魔になる雑草をこまめにかり取り、

毎日、愛してるよ!とつぶやきながら育てている。

大きくて甘い味に育ってくれることを願いつつ、いまからサイパンを食べるのがまちどうしい(๑・﹃ ・`๑)

 


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