ごみ拾いてダサい?恥ずかしい?
個人でごみ拾いをしている人を見ると、すこし違和感を感じる人が多いようです。
ぼくも串本で、その違和感を受ける一人です。
串本の町の人に言われたことがあります。
町の男性👨「ごめん🙏💦ごみ拾いしていいことしてるってわかるんやけど、感情的にちょっと変に感じてしもうた。」
毎日町中で50lの大きなごみ袋でごみを集めるぼくの姿…
ぼく自身が見かけても違和感を感じると思います!w
しかし、ごみ拾いは決してかっこ悪いことでも、恥ずかしいことでもありません!
出るくいは打たれる
他人は、まわりと違うことをしている人をみかけると、たとえそれがいいことをしている人でも、違和感を感じてしまうものです。
(もしかしてあやしい宗教じゃ…?みたいな感じで。)
世界の人を見ても、「出る杭を打つ」という傾向はあると思います。
日本人はとくに人目の影響を受けやすい民族といわれています。
この人目を気にしやすい日本人の性格は、
・日本の人口密度がたかく、人目に触れやすいから
・日本は災害大国で、和を乱す行動が命につながるから
・戦後の日本の教育
が原因ではないか?といわれています。
人目を気にしすぎる日本人の性格は、一方では協調性があると評価されています。
しかし、一方では日本人は、「チャレンジ精神が欠けている」といわれています。
ごみ拾いは環境改善のためにはとても価値のある活動です。
しかし、まわりからするとごみ拾いをする人は少数派で、モノ珍しさが、ごみ拾いする人に対して違和感を抱いてしまう原因かもしれません。
嫌われる勇気
最近話題の「生き方を考える学問」哲学。
その哲学の本の名著に「嫌われる勇気」という本があります。
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嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え [ 岸見一郎 ] 価格:1,650円 |
聞く読書「オーディオブック」でも聞けるので是非聞いてみてね!
書籍「嫌われる勇気」は、「相手を殴ったり、暴言を吐いたり不道徳でわざと嫌われよう!」という不道徳を進めているのではありません。
ごみ拾いのように、「人目は気になるけども、人のためになることなら積極的にやってみよう!」ということをすすめています。
書籍「嫌われる勇気」の最後には、「幸せになるために必要なのは他社貢献だ!」と書かれています。
人の祖先をたどると、現在ぼくたちの主であるホモサピエンスは、「仲間を作り助け合ってきたから生き残ってきた」といわれています。
おそらく、誰かのためになることがうれしいと感じる気持ちは、人間の生存本能によるものかもしれません。
ごみ拾いは、けして不道徳な行動ではありません。
誰かの役に立てる他社貢献の活動です。
実際ぼく自身、串本町のたくさんの人に喜んでもらえています。
応援してくれる人はいる
町の男性👨「ごめん🙏💦ごみ拾いしていいことしてるってわかるんやけど、感情的にちょっと違和感感じてしもうた。」
の串本町在住の男性。
町の男性👨「でもな、違和感感じてしまう行動でも、毎日ごみ拾い続けてる姿は、ほんまかっこいいと思う!」
と町の人から応援の言葉をいただくことは数多くあります。
人間には右脳と左脳があります。
右脳は感情的、左脳は理性的といわれますが、普通人間は感情的に物事に反応するようです。
はじめは感情的に違和感を感じてしまうことは、人間なら仕方ないことです。
しかし、ちゃんと理性で考えて、ごみ拾いをを応援してくれる人がいます。
世間体を気にしてしまう日本人ですが、YouTubeを見ていると日本がこれから活気を取り戻すためには、「世間体にとらわれない良識が求められる時代だ」とぼくは感じます。
Is this 昭和基準…時代は令和!
いつまでセケンテー????
ごみ拾いしようぜ!

「ごみ拾いダサくて恥ずかしいと思ってない?」とごみ拾いボランティア
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