和歌山は神秘の地。
代表的な熊野古道をはじめ、様々な伝説がのこっています。
ぼくの生活する和歌山県・串本町もかずかずの伝説がのこっています。
この記事では、串本のシンボル橋杭岩に関する伝説を紹介します。

串本町の橋杭岩
その昔、串本の離れ島「大島」に太吉という正直者で働き者の男が住んでいました。
大島は暖流の黒潮でかこまれた島。
大島は冬でも暖かく、平和な町でした。
しかし、ただ一つだけ、大きな問題がありました。
それは、海が荒れると本土の串本と海路が閉ざされてしまうことです。
台風の通り道で台風銀座とも異名をもつ本州の最南端の町にとって、嵐は生活をゆるがす大きな問題でした。
嵐のときには海路が閉ざされてしまうことを不憫に思った太吉は、神様にお願いしました。
「どうか私に力を貸してください」
するとある夜太吉の夢の中に神様が現れ言いました。
「太吉、お前に力を授けよう。岩を持ち上げ橋を架ける力だ。この力を使って串本と大島の間に橋を架けなさい。ただしこの力は、夜明けをつげる鶏が鳴くまでの間だけだよ。」
神様からさずかった力を使い、太吉は毎晩大岩を運び、橋の杭(くい)をたてつづけました。
その姿を海の神「あまのじゃく」は見ていました。
あまのじゃくは「人の反対のことをするのが大好き」なへそ曲がりの神様でした。
あまのじゃくは、まだ夜の明けない暗いうちに一匹の鶏をつれてきました。
あまのじゃくは自分の懐に鶏を入れ温めました。
すると朝が来て暖かくなったと勘違いした鶏は鳴き声を上げます。
まだ夜明けまで時間があると思い大岩を運んでいた太吉…
鶏の一声で太吉の体から神様から授かった怪力はうしなわれ、太吉は岩に押しつぶされ海に沈んでしまいます。
太吉の「串本と大島の間に橋を架けたい」という思いは、志半ばで途絶えてしまいました。
それが串本から大島にかかるように伸びる橋杭岩が、途中まで橋の杭を打った状態になっているゆえんです。

串本町橋杭岩

串本町橋杭岩
あとがき
太吉の願いがかなったのか、ぼくが中学生のころ、平成11年9月8日、串本と大島をつなぐ「串本大橋」が開通しました。
串本大橋開通まで、渡し舟のフェリーが使われていました。
しかし、大昔同様、悪天候では船が出せないため不便なものでした。
なので、串本の人たちは串本大橋の開通を喜んだものです。
しかし、串本大橋が話題になったとき、こんな話を耳にしました。
「串本と大島の間に橋ができ、海流がせき止められることによって、海の循環がおきなくなってしまう。海が汚れてしまう…」と。
古事記、日本書紀で登場する伝説「ヤマタノオロチ」
「たたら製鉄」という製鉄所から流れ出る鉄の姿が蛇のように見えることが、大蛇「ヤマタノオロチ」のゆえんだといわれています。
参考
https://www.maff.go.jp/j/nousin/kantai/attach/pdf/giahs_3_221-1.pdf
この製鉄の際には流れ出す鉄や、鉄の採掘で環境汚染につながったのだとか…
ヤマタノオロチは環境汚染の象徴ともいわれています。
民話・伝説には人類の歴史の中で起こった災害や危機感が語られているような気がします。
まるで、時代が変わっても神様や化け物などの伝説を通して、現代人に災害や危機感をつたえるように…
太吉に力を貸した神様は人間にとっての神様かもしれませんが、あまのじゃくは自然環境にとっての神様だったのかもしれませんね…。
伊東夫婦(komorebi_living)提供、橋杭岩の写真

いとう夫婦提供橋杭岩の写真

いとう夫婦提供橋杭岩の写真
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