串本町の民話、トンガ丸の冒険…。
日本からトンガまで五千マイルの距離を渡った、昭和初期に造られた船の無謀な挑戦の民話が串本に残っています。
トンガ丸
トンガ丸は昭和3年の春に、トンガ王国の姫リズバンド王女から命をうけ造られた船です。
串本の漁夫は、オーストラリアに真珠貝を取りに出稼ぎにわたっていたことから、他国でも串本の造船技術が知られていました。
串本の造船技術を買われ、トンガ女王の御用船として発注をうけたのがトンガ丸です。
トンガ丸は、75トン、105馬力のエンジンと帆を動力とする日本からトンガまでの距離を渡るには小さな船です。
昭和初期のエンジンと、帆を動力とする船では、日本からトンガまでの距離は無謀だといわれていました。
しかし、トンガ丸は十名の乗組員を乗せ、トンガ丸製造から翌年の昭和4年、大阪湾から出航します。
やり手のプレイボーイ伴野安太郎
トンガ丸の製造を、トンガ女王・リズバンドに助言したのが日本人・伴野安太郎です。
伴野安太郎は、串本町田並の出身です。
伴野は串本町田並で理髪店を営んでいたそうですが、第一次世界大戦後職を失いトンガに移住しました。
移住後は貿易商として大成功をおさめます。
伴野のプレイボーイたるゆえんは…
トンガ王国女王・メレア姫との駆け落ちです。
田舎町の串本町からわたった伴野は、王族であるメレア姫に恋をし駆け落ちまでする大恋愛をします。
伴野は女王と駆け落ちまでする情熱が認められたのか、伴野はトンガ王国に貴族として女王・メレア姫との正式な結婚が認められます。
伴野は王族の仲間入りをしたのち、さらにタクシー営業などのビジネスを成功させます。
超逆玉の輿ですw
勇士か?おバカか?トンガ丸十勇士
トンガ丸に乗り込んだ十人の乗組員は、トンガ丸十勇士と呼ばれています。
この勇士の称号はは二つの意味で使われているそうです。
一つは、日本からトンガ王国まで渡ろうとする勇敢さを称して。
もう一つは、
こんな小さな船でトンガまで渡ろうとする無謀さをバカにして「トンガ丸十勇士」と呼ばれたそうです。
(使われていたのは主に、後者の意味でだそうです(´・ω・`))
十人の乗組員には、
・伴野安太郎の父親
・宝くじに当たった山林王のボンボン
・事業に成功したが、別の事業で失敗した借金王
などなど、漁夫、農夫、無職、鉄鋼経営者とバラバラです。
トンガまでの大航海のはずが、公開のプロの漁夫だけでなく、農夫や無職が混じっていたところにさらに無謀さを感じます。
トンガ丸は、エンジントラブルで、十勇士のうち途中2名が逃げ出したり、遭難したりしますが、何とかトンガ王国にたどり着きます。
トンガ王国にたどり着いたトンガ丸十勇士…もとい2名欠けて八勇士は、トンガ王国でもてなされ連日遊び放題…。
しまいには、
「いい加減に、串本に帰れ!」
とトンガ王国を追い出されたそうです (´・ω・`)
故郷串本に戻り、町の事を知ると、串本町は港を通じて他県や他国と交わってきたことがわかります。
日本の姉妹都市トルコ。
日米友好記念館。
串本節(黒潮海流の影響を受ける様々な町からながれてきたのだとか)
串本町を囲む海が、串本町の文化や歴史を作っています。
そんな、食料だけではなく、人々のつながりを恵んでくれる海の事を思いながら…
ぼくは今日もごみを拾うのでした。

「串本の民話~トンガ丸の無謀な冒険~」とごみ拾いボランティア
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